イエスの愛 2014 10 5
書名 キリスト教入門(「一個人」 別冊)
欧米の文化を深く理解するには、
キリスト教を理解する必要があります。
たとえば、ハリウッド映画で、
俳優の「何気ないセリフ」も、
私が聞くと、
「あれは、聖書の、あの部分を引用している」と思ってしまいます。
しかし、普通の日本人が、いきなり聖書を読んでも、
なかなか理解は難しいものとなります。
私の場合は、キリスト教で、
わからないところがあると、
インスピレーションが降りてくることがあるのです。
そういう「家庭教師」がいれば、なんとかなるのですが、
普通の日本人が、いきなり聖書を読んでも、
ページが進まないと思います。
そこで、この本は、
日本人でも知っている有名な西洋画を鑑賞しながら、
キリスト教に対する理解を深めていくという方式です。
この本では、文字よりも、絵や写真の方が多いので、
スムーズにページが進んでいくと思います。
ところ、この本を読んで、私から言いたいことがあります。
たいていの西洋画では、イエスキリストを、
「やせこけた青年」のように描いていますが、
イエスキリストの霊的な実態は、全く違います。
それは、直径数キロにも及ぶような巨大な光が輝いているのです。
歴史上、こうした巨大な光を見た人がいます。
それが、伝道者パウロです。
ある時、巨大な光のなかで、
パウロは、「なぜ、私を迫害するのか」という声を聞いたのです。
その時まで、パウロは、イエスの弟子たちを迫害していたのです。
しかし、このような奇跡が起こり、
パウロは回心し、伝道者となるのです。
この奇跡が、パウロが世界伝道を始める「きっかけ」となったのです。
さて、イエスの時代にも、無神論者は多かったのです。
しかし、イエスの姿を見て、イエスの言葉を聞いて、
神を感じなかった者は、愚か者です。
イエスの愛は、神に近いものだったのです。
私たち人間は、愛というものをこう考えます。
まず、家族を愛し、
それができたならば、地域社会を愛し、
次に、国家を愛し、最終的には世界を愛すると考えますが、
イエスの愛は、違うのです。
すべての人を、無差別に、平等に愛するという「愛」だったのです。
これは、人間の愛というよりも、神の愛に近いものです。
「あなたがたも聞いているとおり、
『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
あなたがたの天の父の子となるためである。
父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、
正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである」
「本当の幸福とは」
心貧しき者は、幸いである。
神の国は、あなた方のものである。
嘆き悲しむ者は、幸いである。
あなた方は、神によって慰められる。
心つつましき者は、幸いである。
あなた方は、神が約束したものを受け継ぐ。
神が望むことを真に行おうとする者は、幸いである。
あなた方は、神によって満たされる。
憐れみ深き者は、幸いである。
あなた方は、神によって憐れみを受ける。
心清き者は、幸いである。
あなた方は、神を見る。
平和のために尽くす者は、幸いである。
あなた方は、神の子と呼ばれる。
神が望むことを行うことで迫害を受ける者は、幸いである。
神の国は、あなた方のものである。
(注)
「心貧しき者」とは、挫折や苦難によって苦しむ者、自らの小ささを知る者のことです。